ボランティア

夏休みの東北ボランティア活動

 8月22日(月)~25日(木)の3泊4日の日程で、文化祭実行委員と共練会を中心とした有志生徒8人は、東日本大震災の被災地である宮城県に行ってきました。日本バプテスト同盟塩釜キリスト教会に宿泊しながら、七ヶ浜市・塩釜市の仮設住宅を訪問、ボランティア活動をさせて頂きました。具体的には、仮設住宅で行われたイベント(ヘアーカット、編み物教室など)のお手伝いや集会所でお茶会をしたり、イベントのチラシを配布したり、センター内の清掃や小学たちと遊んだりしました。また、塩釜市内の仮設住宅では、貴重な被災体験を伺いました。大変辛く悲しいお話でしたが、生徒たちも語られる一語一語をしっかりと、受け止めていました。必ずまた塩釜に戻ってくると決意をして、生徒たちは横浜に戻りました。


七ヶ浜にてボランティア活動


仮設住宅訪問


東北研修報告(高3)
 八月二十二日から三泊四日の日程で、希望者8名教員2名と、学校の研修旅行として宮城の塩釜へ行った。私がこの経験を通して感じたことは「現地へ行くことの大切さ」である。
 宮城に着いた私たちは、被害の大きかった地を四日間通して回った。駅前など生活上必要な所は正常に戻りつつあったが、田んぼなどにはまだ、船や逆さになった車や多くの瓦礫が残っていた。一番記憶に残っているのは、初日に見た仙台港近くの蒲生地区である。津波に一気にさらわれたのか、そこは空き地のように何もない敷地が広がっていた。時間が止まっているようだった。生い茂る雑草のみが震災からの時間の経過を思わせた。私はその景色の中に一か所、震災前は家の玄関だったのか、タイルの階段を見つけた。私は思わずそこに近づいた。足を片一歩置いてみる。二段の階段をゆっくりとあがった。半年前だったら、目の前には家があったはずだ。しかし顔をあげた私の目に映るのは、鬱蒼と茂った草と広大な敷地だった。私はなんだか虚しくなった。
 三日目にはボランティアセンターを通して、仮設住宅訪問を経験した。私たち八名は、それぞれ三人程度に別れ違う仮設住宅へ向かった。私が訪問した仮設住宅では、ちょうど集会所で編み物教室が行われる日だったこともあって、到着したときにはすでに多くのご老人たちが集まっていた。しかしそこにいた人々は、私たちの訪問にほとんど見向きもせず、挨拶をしてもちらっと見る程度で、ひどく驚いた。私が想像していた「ボランティア」と、随分離れていたからだ。かけられる言葉といえば「お茶を出して」や「椅子を用意して」など事務的なことばかりで、果たしてここでのボランティアに意味はあるのだろうかと、途方にくれた。
 しかし時間が経つにつれ、「みんなと話さなければ」と必死になっている自分がいることに気がついた。私はボランティアを一つの義務のように捉えていたのだ。
 私は敬語を使うことをやめた。敬語が相手との間に、よそよそしい言葉の壁を作っていることに気がついたからだ。また目線を合わせたり、手を握ったり、一人の人間として心で接することを心がけた。
 すると、自分が見えていなかっただけで、そこにいた人たちは、さりげなく私たちのことを気にしているということに気がついた。壁を作っていたのは私の方だったのである。
 別れる時に私の名前を聞いてくれたおばあちゃんがいた。そのおばあちゃんは、始めに私を怪訝そうな目で見たおばあちゃんだった。そこで初めて、自分がここにきた意味を見いだせたような気がした。私はボランティアとしてではなく、一人の人間として認めてもらえたのだ。
 今回この研修を経験して、悲しみの中には悲しみだけでなく、たくさんの優しさがつまっていることを知った。私は今まで悲しみの中には悲しみしかない、そう思っていた。しかし、そこには生きた人間がいる。私たちがたった一言で終わらせることのできる悲しい出来事の中には、心をそっと手で包み込むように温かい笑顔もあるのだ。現地に行くことで、テレビでは感じることのできない住民の生きようとする姿、また被災地にまだ残る悲しみの渦を自分の目で確かめることができた。
 私は宮城での最終日、涙が止まらなかった。多くのものを受けてばかりで、その優しさに答えられない自分の無力さが悔しかったのだ。「また明日もくるよね」と当り前のように云ったおばあちゃんたちのその言葉に、答えることのできなかった自分が情けなかった。
 しかし、研修後、引率の先生からメールがあった。仮設住宅にいたおばあちゃんの息子さんから、宿泊先だった教会にお礼の電話があったという。そのおばあちゃんは本当に嬉しかったようで、息子さんに何度もその話をしたという。「あなたたちが彼女たちを励ましたってことは、間違いない」そうメールには書いてあった。
 このメールを受け、私という人間が少しでも生きる喜びを与えられたことが、嬉しかった。
 一人の人間ができることは本当に少なく、見える範囲も、手の届く範囲も狭い。今回の経験で、自分ができるその狭い範囲の中にいる人間でさえ、手助けすることがどれだけ難しいことか知った。
 今私は再び塩釜に帰ろうと思っている。今度は私が喜びを与えられるように、おばあちゃんから教えてもらったマフラーを完成させ、持っていこうと思っているのだ。その時は誰の手も借りずに個人で行く。私の目が届く範囲を精一杯感じていきていたいと思う。


9月12日の全校礼拝では、東北研修を覚えて礼拝がまもられました。その原稿を紹介いたします。
東北研修 特別礼拝原稿(高3)
 今回、私は宮城県の被災地に行き、多くの事を学んできました。
その中でも強く感じた事は、テレビの映像として見るものと、実際に現地に行き、自分の目で見るものとでは、全く感じるものも、学ぶものも違うという事でした。
 3月11日の大震災直後も、余震はあったものの、私も家族も皆無事で、停電もない安全な場所で、生活する事が出来ました。
しかし、東北地方で津波の被害にあわれた方々は違いました。家が津波に流され、帰る場所を失った方。目の前で人が津波で流されていくのを見た方。自分自身も波に流され死に物狂いで助かったにも関わらず、追い打ちをかけるように、雪が降り、どんどん奪われていく体温。道は津波で流されてきた、瓦礫やヘドロで埋め尽くされ、足を取られ、避難するにも困難だった事。夜になると、停電により辺りは暗く、いつまた津波が来るか分からない恐怖に怯える中、頭上には今まで見た事もない満天の星が広がっていた事。
 3月11日、私の想像を絶する事が起きていました。そして、この体験談はテレビでは絶対に知る事がなかったであろう、と感じました。直接顔と顔を合わせて学ぶ事と、被害の少ない安全な場所で、被災地の事をテレビで学ぶ事とは、大きな差が生まれる事を感じました。
 また、被災地の方々のお話を聞き、震災によるストレス、人間の本性、人と人との繋がり、アイデンティティーについても、学ぶ所があり、深く考えさせられました。
 一つ目は、東北地方は土地が広いため、一軒一軒が大きく、そのような広い家に住んでいた方が、狭い仮設住宅に入っただけでも、ストレスを感じてしまうという事。
 二つ目は、被災された方誰もが、被災体験を語れるとは限らないこと。まだまだ受け止められない方が大勢いる中、自分の体験を一つの話として語れるようになる前に、私たちが震災の時の体験を無理に聞き出そうとは絶対にしてはいけないのです。
 三つ目は、一人一人、それぞれのトラウマがあり、あの人の方が状況はひどいとか、あの人はまだ軽い、などと比べてはいけないという事。人のトラウマに、悲しみに大きいも小さいもないのです。
 四つ目は、農業にしろ、漁業しろ、一番の問題は原発であるという事。放射能による汚染で、復興を目指して仕事がしたくても、とても困難な状況にいる方々が大勢いらっしゃいます。また、それに伴い、被災地の方々は、どんなに困難でも、苦しくても、自分の足で立って一歩一歩を踏み出していかなければいけないのです。
 五つ目は、人は、社会の中での役割を得ることで、今、ここに自分は存在していられるというアイデンティティーを確立できるという事。それがないと自分の存在を否定したり、生きる意味を失ってしまうのです。被災されて、何をすればいいのか、わからなくなった方々のほとんどが、そう思われたそうです。
 六つ目は、ノアの箱舟に書いてあるように、人は自ら体験しなければ、心から後悔をすることも、感謝することもない、という事。横浜で無事でいた人が、「また地震が来て、学校が休みにならないかな」という事を言っているのを聞いて、とても残念に思いました。
 そういう方たちは、実際に、自分が経験しなければ、考えが改められることはないのだと学びました。
 震災から、半年が経ちました。被災地は今でも、大きな傷を負っています。原発、という大きな問題もまだ解決していません。今回東北に行ったことによって、私たちにしか語れないものを得てきました。この事を知らない方々に伝える事が出来たなら、私が宮城に行った意味があったと思います。
 ぜひ、被災地に直接足を運んで、現状を、その時、なにがあったのかを知ってください。
 そして、そこで得たものを、知らない人たちに伝えてください。義援金も物資もとっても大切だと思います。しかし、本当に人の心を癒せるのは、同じ人間だと思います。ぜひ現地の人たちのお話を聞いてください。それだけの事でも癒される方々がいらっしゃいます。
 私は、宮城に行った後、今の生活が当たり前なのではなく、幸せなものなのだと、本当に心から思う事が出来ました。私はこの思いを、皆さんに知って貰いたいと思っています。


クラス献金

 クラス礼拝の中で週に1度献金を捧げています。今年度の送り先は、女性と子どものために東日本大震災の復興支援をしている団体(YWCA・ワールドビジョン)とキリスト教海外医療伝道協会(JOCS)です。

 2010年度の学校全体のクラス献金の総額は約105万円でした。この他にもクリスマスの献金や災害支援のための特別献金も行われています。


フィリピン里親活動
 クラスで1人の里子をサポートしています。月にクラス全員が100円ずつ献金することで、フィリピンでは1人の子どもが学校に通うことができます。現在、中高24クラスと教職員・PTA を合わせ、36人の子どもたちの学びを支えています。里子さんとは、クリスマスカードなどを通して交流しています。


収穫感謝祭礼拝
 毎年中学2年生が中心になって、全校から野菜や果物を集め、全校で礼拝を守ります。集まった品は寿町の炊き出しのために届けられています。また、有志の生徒たちがこの炊き出しのための奉仕を行っています。


カンボジア献品集め・カンボジア礼拝
 毎年3月にカンボジアに捜真が校舎を贈った、ピートゥヌー小学校を有志が訪問しています。その際、全校生徒に呼びかけ、ノートやえんぴつ、楽器などを集め、ピートゥヌー小学校の子どもたちに届けています。また、カンボジア研修参加者やカンボジア委員が担当する礼拝に際して行われる献金で、カンボジアの児童養護施設で生活する子どもたちを3人支援しています。


古本市・読み聞かせ
 図書委員が中心になり、全校から集められた古本を文化祭で販売し、その収益を東南アジアの子どもたちに絵本を贈る団体に献金しています。今年は東日本大震災で被災した子どもたちに絵本を贈る活動を支援する予定です。また、捜真小学校などで読み聞かせの奉仕をしています。


その他
インターアクトクラブ、ユニセフ部、YWCAはボランティア活動を目的とした団体です。聖歌隊・弦楽部もデイケアサービスで演奏の奉仕を行っています。