キリスト教教育




1 礼拝-「聴く」ことで人は育つ

・ チャペル礼拝-静寂の中に響くパイプオルガンの音

 捜真では毎日礼拝を行っています。その目的は、人生の導き手であるイエス・キリストの教えを伝えることにあります。捜真のキリスト教教育が目指すのは、生徒一人一人が「真理とは何か―自分とは何か、他者とは何か、人生とは何か」という問いに自ら答えを出すところにあります。礼拝で聴いた言葉が生徒の心の内に種として蒔かれ、やがて芽吹き、育ち、熟してその人の「人格」となって現れます。


・ クラス礼拝-安心できる場所で語り、聴く

 クラスで行われる生徒礼拝は、安心して生徒が自らを語り、クラスの仲間はそれを真剣に受け止める場となっています。捜真生が自然に自己受容と他者受容ができているのはこの礼拝のお陰だと思っています。また、クラス礼拝では週に一回献金を献げています。今年度の送り先は、女性と子どものために東日本大震災の復興支援をしている団体(YWCA・ワールドビジョン)とキリスト教海外医療伝道協会(JOCS)です。


・ 特別礼拝-1000人の前でも一人の前でも同じ

母の日礼拝(高三担当)、花の日・子どもの日礼拝(高一担当)、感謝祭礼拝(中2担当)は全校生徒を前にチャペルで生徒が礼拝を行います。海外研修の報告を兼ねた礼拝やカンボジア礼拝もあります。生徒たちは教員礼拝とは一味違う集中力を示します。それは友人たちの言葉を真剣に聴こうとする姿勢の表れなのでしょう。1000人の前でも、一人の前でも、語る内容に違いはなく、生徒たちは心を込めて自分を語り、メッセージを伝えます。




2 キリスト教行事-自分を整える時


・ 自然教室―日常の喧騒から離れて自分を取り戻す

 自然教室とは御殿場の宿泊施設で行われる宿泊修養会をいいます。中3・高一・高三は5月、中1・中2は7月、高二は11月に行われています。「あそこは特別」とよく生徒は言います。理由は、学校や家庭という日常の喧騒から離れ、講演に耳を傾け、友と語らい、自分を見つめる豊かな時間がゆっくりと流れていくからです。共同生活をしながら、普段は見ることの出来ない友人の意外な一面を発見したり、仲間と心を開いてとことん語り合ったり、一人になって自分の過去・現在・未来を考えたりと、生徒たちにとって「本来の自分を取り戻す時間」でもあります。自然教室は中学1年生のステンドグラス制作に始まって、高校三年生の学院長の講演で終わると言っても良いかもしれません。


・ 全校修養会-今を逃したら、二度と聴けない言葉がある

 秋に行われる一日修養会では、学年ごとに学外から講師をお招きして、午前と午後二回に分けて講演を聴きます。学年別なので年齢に合わせたメッセージを伺うことができます。また、学外の先生のお話は今を逃したら二度と聴けない言葉なので、新鮮で緊張感があります。「たった一度限りの出会いだったあの先生のこの言葉が、今の自分を支えている」と言う生徒も少なくありません。お話に触発されて教会に通い始める生徒、バプテスマを受ける決心をする生徒もいます。なお、修養会を迎える準備のため5日前より生徒による祈祷会が行われます。




3 祈祷会-いと小さき祈りに支えられて

 有志生徒による祈祷会が毎週水曜日の朝に行われています。コーリング祈祷室と呼ばれる小礼拝堂で讃美歌を歌い、担当者の短いお話の後、各自が自由に祈りを捧げます。人数は多くありませんが、神の前に頭を垂れ、学校のため、友人のため、そして世界のために祈る者がそこに集まります。




4 ボランティア・献金-小さなわたしにもできること

・ 里親献金-海の向こうにも共に学ぶ仲間が

 30年以上前から、フィリピンの里子を各クラス1人ずつ支援しています。現在、中高24クラスと教職員・PTA を合わせ、36人の子どもたちの学びを支えています。


・ 感謝祭礼拝-チャペルの檀上が野菜や果物でいっぱいに

 全校生徒によってささげられた野菜や果物は、寿町の炊き出しなどに使われます。有志の生徒たちが炊き出しのお手伝いに行き、たくさんの野菜の皮むきをしたり刻んだり、また、配食や食器洗いもお手伝いします。


・ カンボジア委員会-楽器と文房具と思いを届ける

 10年前に全校が力を合わせて建てたピートゥヌー小学校。現在も献金や献品を通して支援を続けています。毎年3月には、高校生有志が訪れて交流しています。




5 ステンドグラスとモザイク壁画-校舎とチャペルを繋ぐ癒しの空間

 チャペル前ホールは、かつては単なる渡り廊下でしたが、今は校舎とチャペルを繋ぐ前室として、生徒が礼拝に備えて心を整える場となっています。ステンドグラスは第七代校長の日野綾子先生が田中忠雄画伯にデザインを依頼して制作されたものです。描かれているキリストの生涯が優しい光を放ち、前を通る者の心を静めます。モザイク壁画に書かれている“Be still and worship”(静まって、我の神たるを知れ)という言葉は、この空間によって自ずと実現されていきます。




6 キリスト教教育を受けて―卒業生の声


 
卒業生に捜真のキリスト教教育と言えば何ですか、と聞いたところ、1位-礼拝、2位-聖書の授業、3位-毎日の学校生活、という結果になりました。「聖書の授業では『聖書』の知識やキリスト教の歴史を学び、礼拝はその実践を聞く場でした」と言っています。また、「3位-毎日の学校生活」の詳細を聞くと、こういう答えが返って来ました。「先生たちの在り方、思想、価値観」「捜真には他者をありのまま受け入れる空気が流れている」また「生徒が自分で答えを出すまで待つという土壌がある」「だから、私たちもそのように周囲の人のことを見られるようになった」つまり、人と人との関係を言っているのだと思います。

 また、
捜真のキリスト教教育による一番の収穫は何ですか、と聞いたところ、1位-自分を他者に対して開く、2位-多様な価値観を受け入れる、3位-ひとりでも大丈夫、4位-深くものを考えられるようになった、という答えが返ってきました。自分のありのままを在学中に受け入れられた生徒たちは、自己受容と他者受容が自然にできています。どのような考え方を持った他者でもその存在価値を認め、また自分が周囲と違う考えを持っていたとしても、存在そのものが受け入れられ支えられた経験があるため、何も恐れることなく自由に自己表現ができる、と言うのです。

 
母校捜真に帰って来たら行きたい場所はどこですか、という問いには、1位-チャペル、2位-教員室、3位-自然教室、高三の教室、という答えが返ってきました。チャペルは大差で1位です。実際多くの卒業生が戻って来ては礼拝に参加しています。チャペルの席に座ると懐かしさが込み上げ、かつての自分の姿、聞いた言葉やその時の心境が甦ってくるといいます。また、何か迷いが生じた時には、母校に戻って来て在校生と一緒に礼拝に参加することで、答えが見つかったり、決心が固まったり、励まされて力を与えられたりして、自分の場所へと戻って行けると言う卒業生もいます。




7 生徒が選ぶ好きな聖句

・ 愛がなければ、無に等しい。(コリント第一 13:2)
・ 自分を愛するように隣人を愛しなさい。(マタイ他)
・ 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:43)
・ 人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。(マタイ7:12)
・ 求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(マタイ7:7)
・ ひとりよりもふたりがよい。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。(コヘレト4:9)
・ 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマ12:15)
・ わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。(ローマ5:3〜4)
・ 平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)
・ だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である。(マタイ6:34)
・ あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリント第一10:13)
・ いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。(テサロニケ第一5:16〜18) 




オマケ 捜真生のプチ自慢
・ いつでもどこでもハレルヤコーラスを三部合唱できる。
・ キリスト教式の式典に参列した際、一人でも讃美歌を大きな声で歌える。
・ ふとした瞬間に聖書の言葉が思い浮かぶ。