学院の歴史

□ 山手67番 
 捜真の歴史は、1886(明治19)年、横浜の外国人居留地山手67番にあった聖書印刷所の2階で始まりました。プロテスタントのバプテスト派宣教師でアメリカ人のシャーロッテ・ブラウンが7名の少女の教育にあたり、翌年10月1日英和女学校の看板を掲げました。
□ カンヴァース先生
 第2代校長クララ・A・カンヴァースが来日したのは1890(明治23)年でした。翌年山手34番に新しい校舎を建設し、英語の校名をメリー・エル・コルビー・ホーム(建築費用を寄付してくださった女性の名前に由来)、日本名を捜真女学校と改めました。
□ 白い塔のある校舎
 捜真が神奈川区中丸の現在地に移転したのは1910(明治43)年のことです。麦畑の広がる丘に学校のシンボルであった白い塔やニューイングランド風の建物が遠くからも見えるようになりました。川端康成の小説の挿絵にもなった美しい校舎でした。共練会(生徒会)が発足し、現在の中学部・高等学部に相当する課程に加えて、短大程度の教育を行う英語、音楽、家政などの専門学部も設置されました。
□ 焼け跡
 1923(大正12)年の関東大震災にも耐えた捜真の校舎は、1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲により、わずか30分で燃え尽きてしまいました。終戦まで2ヶ月余りのことでした。授業は関東学院の建物を借りて再開しましたが、中丸に最初の校舎が再建されたのはそれから3年後でした。
□ 小学校の校舎(昭和30年代)
 戦後の困難な時期に、千葉勇第6代校長は、1957(昭和32)年男女共学の小学校を開き、翌年御殿場で自然教室を始めました。この自然教室は、修養会をはじめ、勉強合宿、クラブ活動の合宿などに利用されています。室内プールのある体育館や1200名を収容するチャペルが完成したのもこのころです。
□ 本館十字架
 捜真は1986(昭和61)年に創立100周年を、2011(平成23)年に創立125周年を迎えました。その間、2007(平成19)年に小学校創立50周年を、また2010(平成22)年に中丸移転100周年を祝いました。