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| 捜真をつらぬくもの |
| 捜真女学校は今年で創立124周年を迎えます。捜真の歴史は1886年に宣教師ミセス・ブラウンが7名の少女たちを集め、教えたのが始まりです。翌年10月1日に山手67番の建物に「英和女学校」の看板を掲げました。 捜真の基礎を築いたのは第2代校長のカンヴァース先生です。先生は、教育の究極の目標は「真理を捜すことである」と考え、1892年より校名を「捜真女学校」と改め、1910年には手狭になった山手より神奈川区中丸の現在の地へ校舎を移転しました。また、カンヴァース先生は「イエス・キリストの愛を持って一人一人の生徒を愛し、生徒の持っている可能性を引き出す」ことが教育の原点であると信じ、捜真に大きな柱を立てられました。 |
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| “Trust in God.” “Be true to your best self.” 「神に信頼せよ」 「最善の自己に忠実であれ」 『神は私たち一人一人に最善の人生を備えていて下さり、それぞれ一人一人に何らかの宝物を与えて下さっている。だから、その宝物を発見し、それを磨き、最も良い方法でそれを自分のため、他者のため、社会のため活かしなさい。』そう教えられました。捜真に連なる者は、教職員も生徒も、この言葉に励まされ導かれてまいりました。 捜真が最も困難であったのは、1945年5月29日の横浜大空襲によって校舎がわずか30分で全焼し、全てを失ってしまったときでありました。復興はかなり難しい状況にありましたが、教職員の熱き思い、アメリカ・ミッションの援助、在校生の保護者と同窓生の祈りと献金等で何とか校舎再建を果たしました。全てを失ったかのように見えたその時でも、「神に祈ること、神に信頼すること、最善を尽くすこと」という教えは、捜真に連なる者の心からは失われてはいませんでした。 捜真は、「キリスト教信仰に立って真理を捜し求めつつ、人間形成を行う」ことを建学の精神として教育を行ってまいりました。そして、今後とも自己の能力を最善に伸ばすと同時に、隣人を愛し、感謝をもって社会に奉仕できる人材の育成に努めてまいります。 |
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| 年表 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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| LOVE GIFT |
| 1926年に捜真に赴任された宣教師のミス・エーカックは、第2次世界大戦が始まると敵国の人間であるということで、1943年9月に最後の引揚船で故国に送還されてしまいました。その後、1945年5月の横浜大空襲で、捜真は校舎全てを失ってしまいます。 戦後、ゼロからの出発が始まります。物資が足りず校舎再建に大変苦労をしていたところ、横浜港に5200枚の窓ガラスが陸揚げされました。これは、ミス・エーカックがアメリカで捜真のことを多くの人に語り、それを聞いた友人や教会関係者が捜真のために贈って下さったものです。そのガラス1枚1枚には「LOVE GIFT」のシールが貼られていました。当時、苦境に立たされていた捜真が、この「LOVE GIFT」にどれだけ励まされ、勇気づけられ、助けられたかは言葉では表現できません。 今では、もう窓ガラスはほとんど残っていません。しかし、贈られた愛は時代を超えて語り継がれています。 |
図書館前に復活した |
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| 120周年記念事業「新自然教室建設」 |
御殿場にある自然教室は、1957年に土地を購入し、その2年後に木造建築を建てたのが始まりです。その後、1971年に本館宿泊棟、1984年にポーレーホールの建設等の大掛かりな建設を行いました。また、その他にも様々な補修工事を行ってきました。しかし、本館の老朽化が進み、いよいよ「建て替え」は避けて通れないものとなってきました。そして、創立120周年記念事業の一環として自然教室建て替えに着手し、2005年5月に新自然教室本館が完成しました。6月11日には献堂式が行われ、神様に心からの感謝と讃美を捧げました。 2007年には、大切に保存されていたカンヴァース先生のお庭にあった松を中庭に移植しました。捜真にとっては大切な思い出の一つです。大事に育てたいと思います。 |
| 校章 |
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西に位置する白い富士山が東に位置する青い海に映し出されたところに、SOSHIN-JO-GAKKOの頭文字に当たる SとJとGを重ねたものです。それは、白い富士が表す誠実な心で、青い海が表す真理を追い求めることを意味しています。 |
| 教育の特色 |
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